ツイッターノミクス

  • 原題:THE WHUFFIE FACTOR
  • 著者:タラ・ハント (Tara Hunt)
  • 訳者:村井章子
  • 解説:津田大介
  • 文藝春秋
  • 2010年3月10日第1刷

 なんでこんな邦題になってしまったのか。極めて残念でならない。
 ツイッターの本ではない。
 ツイッターノミクスという言葉さえも、邦題と第11章の邦訳での章題と、あとは解説にしか存在しない。第11章の章題は原書では "WHUFFIE IRL"で、IRL は "in real life" だと注釈がある。というのを amazon で確認した。
 いったい、誰が、まったく本書に相応しくないどころか、著しく内容を傷つけるようなタイトルを付けたのだろうか。下らない上にセンスの皆無な造語まで使って。面白い本だっただけに、こんな邦題は許し難く思える。翻訳も読みやすかったので、殊更である。
 本書を手に取るきっかけになったのは、CNET Japan だったと記憶しているが、著者へのインタビュー記事を読んだことだ。コミュニケーション能力とかがバズって久しい世の中だが、それが何なのかが曖昧なまま他人を責める便利ワードと化しつつあるように感じていたところ、ウッフィーという産物からの観点でうまくコミュニケーションというものを説明した本だろうと思い、タイトルを見て苦笑した。
 内容は原題のとおり、ウッフィーについてである。主に信頼や忠誠という表現が併用されているが、恩や恩義と考えても良いかもしれない。あるいは称賛などである場合もあろう。これを目的としてコミュニケーションすることで好循環を生むという話であり、良い物を良い方法で提供すれば利益が上がるという話の延長上にある。ただし、良し悪しの情報が、より個人的なルートでより具体的により速く伝達するようになっているからコミュニケーションとして見やすいということだろう。
 肝心なのは、そのものの良さを伝えられるかどうかだろうと思う。とにかく良いから、とか、みんな使っているから、とか、有名な誰かが持っているから、とかではなく。それができれば、ウッフィーのやりとりは成立するだろうし、できなければ大衆が少数派を無視しておしまいだろう。多数に安寧があれば、やがてウッフィーの循環は薄れてしまうだろう。少数派には良さを主張する能力が必要だし、大衆にはそれに耳を傾ける能力が必要だ。
 本書は、さもビジネス書のようである。経済書と言うのかな。ともあれ、実体がそうでないことは読めば分かる。経済的な面は、そのうちついてくる、くらいしか述べられていない。本書で言う成功とは、ウッフィーをより得ていること、換言すれば人気があることだ。だから、人望を得るための本とか、集団を運営する方法の本とか表現すれば合っているように思う。そして、それが面白い人が読めば、面白い本である。