生きる技術

 帯に曰く「負けてくやしがるばかりでは身が持たぬ」。1990年6月に『ちくま哲学の森8 生きる技術』として刊行されたものの文庫版だそうな。
 面白く読めたものもあり、読みにくかったものもあり、つまらなかったものもあり、森毅の解説を含めて 29 編が収められているので、あるものはかなり断片的になってしまってはいる。斎藤隆介「大寅道具ばなし」や浪花千栄子徳川夢声「対談」や W・サローヤン (訳: 関汀子)「ハリー」やマーク・トウェイン (訳: 三浦朱門)「嘘つきの技術の退廃について」やロラン・バルト (訳: 篠沢秀夫)「レッスルする世界」やショーペンハウアー (訳: 石井正)「みずから考えること」や林達夫邪教問答」など面白かったものが多くあり、また石原吉郎「ある〈共生〉の経験から」のように迫りくる生々しさをもつものもあり、ケニヤッタ (訳: 野間寛二郎)「ケニヤ山のふもと」やユーハン・トゥリ (訳: 三木宮彦)「サーメの暮し」のように興味深いものもあった。個人的にはジブラーン (訳: 神谷美恵子)「結婚について/子どもについて」で神谷氏の訳文が収録されていたことが思わぬ喜びだった。氏の訳の「自省録」はごくたまに少しずつ読んでいる好きな本の一冊だからだ。
 生きる技術が身につくといったような本ではなく、かといってこれらの著者が生きる技術を持っているとも思われず、しかし収録作たちのように考えたり記述したりすることに生きることの面白味があるような、あるいは業のようなものを感じた。
 続刊も積んである。次巻を楽しみに、読み進めるとしよう。