時の娘

  • The Doughter of Time
  • 著者:ジョセフィン・テイ
  • 訳者:小泉喜美子
  • ハヤカワ・ミステリ文庫
  • 早川書房
  • 2006年11月30日24刷

 イギリス史のミステリを病室のベッドで警部が推理を巡らす話。
 たしか「星封陣」の解説あたりで知って購入した本。歴史ミステリなのだが、イギリス史を知らないので、冒頭からしばらくの系図やヨーク家とかランカスター家というのが、なかなか整理つかなかった。「山猫」を読んだときもイタリア史を知らなくて読み始めはなかなか進まなかった。しかし、どちらも中盤からは面白くなってくる。
 とくに本書は、エドワード四世の二人の王子は、エドワード四世亡き後、次の王リチャード三世によって殺されたのかという“容疑”に警部が職業に相応しい視点で“捜査”することで歴史を追い詰めてゆく、その過程が面白い。いよいよ、といったところで残念な結果にはなるのだが、しかしそれでも、こうした歴史の見方の面白さは充分に残る。
 証明の手立てがない、あるいは少ない(もしくは怪訝なくらい極端に多い場合もあろうが)からこそ、歴史にしても同様の事柄にしても、諸説あって当然であろうと思うが、どうもそういった物事の方が多数派に沿った意見に人は流されてしまいがちに思う。おそらく自分で判断がつかないからだろう。なんとなく多数か熱狂的に少数か、どちらにせよ。
 歴史家に関して、こんな台詞がある。

「きっと、すり切れた昔の記録ばかりいじっていると、人間を学ぶひまがなくなるんでしょう。記録に出てくる人間のことではなくて、つまり、生きている人間という意味よ。血と肉のある、本当の人間ね。そして、そういう人間の環境に対する反応を考える、ということを忘れてしまうのね」

 こんにちでは、これは歴史家のみに限らず当てはまることだろう。あまりに頭だけ、付属品や肩書きだけで人を見ることが多くなってはいまいか。