城をとる話

 世田谷文学館に行ったときに、展示は入れ替え中のため見れなかったが、ブックカバーを買った。それを使ってみたくて、帰途に購入した本。
 私が司馬作品を読み始めたのは、おそらく「梟の城」からだったと思う。それ以前から、家にあった時代小説を読んではいたが、本屋の時代小説コーナーに行くようになったのは、そのころからであったように思う。
 時代小説には、武田信玄豊臣秀吉といった歴史に名のある人物を、異なる著者がそれぞれ書いたものがあり、読んでみると面白味が異なる。登場人物や時代、状況、世界、それにストーリーもが、ほぼ同一であるにも関わらず、一方の著者によるものは面白く感じ、他方はそうでもない。単純に、あの著者は上手い、こちらは下手と今まで思っていたが、こういった部分に表現や演出の妙味の差が出るのではないかと、最近は思う。
 司馬氏の著作は、全て読んだわけではないが、私が面白いと思うものが多い。

 元は映画の原作として構想されたらしい。解説によると小説が公開されたのは映画よりも後になるそうだ。石原裕次郎主演「城取り」昭和40年、1965年のことという。
 作中の舞台は戦国末期。先に読了した「のぼうの城」より少し下った時代の、豊臣秀吉亡き後に関ヶ原合戦が起こる前という頃。場所は会津上杉景勝領と大崎(今の仙台)の伊達政宗領の接するところ。作中の地名を見るに、今の福島県山形県の県境付近だろうか。ちょっとよくは分からない。
 ともあれ、石田三成につこうとする上杉家に脅威と感じられる城を、伊達が国ざかいに築きつつある。それを取ろうと言い出すのが、常州常陸つまり茨城県あたり)佐竹家を退転し、上杉家の中条左内のところへやってきた男、車藤左。その城、帝釈城へ向かう左内と藤左は、途中で仲間を作り、川向こうの伊達領、帝釈城の築城現場へと潜入する。
 ところがこれがなかなか進展しない。藤左らに対するのは伊達の客分の赤座だが、この男がまた寝返るような、そうでもないような。
 一向に城が取れぬまま、しかし状況は転々としていく。果たして城は取れるのか、という話である。
 話の面白さがどういうものかは、正直わからない。時代小説らしく、表現と演出で読ませて、先へと読み進めることができる。ついに城取りの企てが実行され始めると、そこからはもう一気に事態は動き、つられて一気に読んだ。そういう読ませる力がある。文章だけでなく構成も作用しているのだろうか。
 よくは理由が分からないものの、ともかく面白かった。