解剖学教室へようこそ

 養老氏の著書は何冊か読んでいるが、本書を読むのは初。このあとに「唯脳論」を読む予定だが、そちらは前に単行本で読んだことがあり、文庫での初読となる。
 その「唯脳論」への入門書のように感じた。といっても「バカの壁」よりは内容がある。
 本書は「唯脳論」よりも後に書かれたものらしい。単行本の発行年を比べてみると、そうなる。養老氏はずっと「唯脳論」への入門書を延々書き続けているのではないかと、そんなことを思った。特に根拠はないけれど。徐々に内容を易しくしていって、結局「バカの壁」のような本が出たりしたのじゃないかという気がする。あの本はきっと養老氏のバカの壁から染み出た上澄み液の一部に違いない。濃い原液は「唯脳論」やその先にあるように思えてならない。もちろん、こう言うのも別に根拠あってのことではない。
 さて、全ての養老本は「唯脳論」へ続く的な妄想を唱えたところで、本書の内容に触れておこう。
 解剖学について、解剖の種別のうち著者の専門とする(していた?)系統解剖を、解剖の歴史を追いながら、なぜ解剖するのか、解剖することが何を意味するのか、などの話が展開される。
 そこに養老氏の考えが重なり、話題には分子原子素粒子だとか、アルファベットだとか、五行だとかが出てくる。
 個人的な考えを述べると、学問は「世界の見方」であろうと思う。それは学問に限らず、芸術だとか宗教もそうだろうし、思想はもちろん思考も「世界の見方」であろう。それらが世界に出たとき、つまり複数人で共有されるようになったとき、学問やら芸術やら宗教やら思想やら思考やらも世界の一部になって、それらに対する「見方」が生まれると思う。学問学とか芸術芸術とか宗教教とか思想思想とか思考考とか。いや別に異なるものを掛け合わせてもいいだろうけれど、学問教とか、うわ、怪しい(苦笑) とか言いつつ、実は学問教が今の世の中はかなり蔓延しているような気がする。教祖がいてとかいう組織だったものじゃなく、土着信仰のような形で。あれ、土着信仰じゃなかったか、原始宗教? なんて言ったか名詞を忘れたけれど、なんかそういうヤツ。
 で、本書で示されたのは学問思想とか学問考のススメみたいなものなんじゃないかなぁ、と思う。解剖学について考えたことが書かれている。ばかりか、思想や思考の「世界の見方」の性質ゆえに、解剖学思想だか解剖学考だかは容易に敷衍しうるんじゃないかなー、なんて。
 本書は、養老氏の思考への入門になりつつ、解剖学についても少し知ることができて、一挙両得というか、ちょっとお得な感じの本だった。図版も豊富で興味深く楽しめた。といっても図版については人によっては、やめてほしいと思うかもしれない。解剖の図版ですからね。写真じゃないからそんなでもないけど。